相談支援専門員の日々

障害福祉サービスの計画相談をしていた爺(じじい)のブログ。現在は就労B、生活介護の支援員をしています。

相談支援専門員の連休

この連休は、自宅でテレビを観て、多くの時間を過ごしている。アマゾンプライムビデオではラッセル・クロウ主演の「ビューティフル・マインド」を観た。本作では、統合失調症の幻覚等の症状が主観的・客観的に表現されている。
私が相談を担当している精神の利用者さんでも、統合失調症の診断がついている人は多い。統合失調症は約100人に1人が発症するとも言われているそうで、実は身近な病気であると思う。私の利用者さんの場合、同じ病名でも、人により状況は様々。自力での生活が難しい方もいれば、地域で独居で暮らしている方もいる。生活能力は、障害支援区分では、あまり判断できないように感じる。
利用者さんの1人、Aさんは、団地で独居で生活し、定期的に通院し、服薬されている。経済的にも問題なく、生活環境も整っている。家事援助のヘルパーさんが入っているが、多くの部分で自立した生活をされている。ただ、幻聴があり、ご本人はそれに悩んでいる。幻聴の内容は、Aさんを批判するものである。
Aさんからは、幻聴が聞こえたら、とぼける、聞こえないふりをする、などの対応をとっている、と聞いた事がある。今回の映画を観て、Aさんが言っている事が、少しイメージできた。Aさんにとっては、幻聴と、実際に誰かから言われた言葉を区別するのは、とても難しい事だと思う。
Aさんからは、自分の言動が、何でもかんでも、幻聴の影響を受けたものとは思わないでほしい、とも言われている。時々少し不安定になり、その様子に慣れた支援者から「はいはい、またいつものあれね」的な対応をされてしまうAさんだが、自分の言っている事が半ばスルーされたり、幻聴のせいだからと断定され、否定されたりするのが悲しいのは、当然の事だと思う。

(追記)社会福祉士の過去問では、「社会理論と社会システム」の分野で、ゲーム理論の「囚人のジレンマ」がたまに出てきますが、ゲーム理論で有名な数学者が、ラッセル・クロウが演じたジョン・ナッシュなんだそうです。

相談支援専門員の国試①

一応ご報告しますと、第33回社会福祉士国家試験、私は不合格でした。
合格された皆様、おめでとうございます。素晴らしいと思います。
残念だった皆様、その悔しさ、私にも分かります。次は頑張って下さい。私も頑張ります。
試験日の2/7は、まあまあかな?という感触でしたが、2/9に行なった自己採点は83点で、合格には少し足りていないな、という印象、3/15の発表では合格基準点が93点と判明し、少しどころか合格まで10点足りない事が分かって、壁の高さを思い知りました。
とりあえず15日から一問一答を始めました。次回は今回よりたくさんの過去問に触れ、弱い科目を補強してから、本番に臨もうと思います。
先日、(別の)国試の受験経験がある学生時代の友人と、社会福祉士持ちの職場の先輩に結果を報告しました。報告した事で、私の気持ちは前向きに切り替わったと思います。

相談支援専門員の2月

2月は障害年金の申請のお手伝いをした。病歴・就労状況申立書も、ご本人に聞き取りをし、つらつらと書かせて頂いた。ご本人は休まず就労Aに通われており、結果的には自分が色々とやり過ぎてしまったかな?という感じがする。相談員として、特に報酬の請求もできない。社労士であれば、いくらご本人に請求するのだろうか。
このケースでは、医師の診断書は2カ所から取らねばならず、取った結果、どちらにも追記修正が必要だった。診断書は手書きで、ボリュームも大きなものだから、先生方も書くだけで精一杯だったのかもしれない。色々あったが、とりあえず年金申請は終わり、約4カ月後に結果がご本人に通知される。
今のところ、3月は仕事での大きな行事はなく、本業である継続と変更のための計画と、モニタリングをコツコツと行っている。1月、2月はあまり件数が伸びなかったが、3月はそこそこの数字をあげられそうだ。

相談支援専門員の1月

1月は、自閉・多動で、医療ケアも必要な方のグループホーム体験利用を支援した。利用期間は約2週間だった。
朝夕は毎日、医療ケアのために訪問看護さんが入って下さった。訪看さんの時間が固定だったため、土日祝の日中一時の送迎にご本人が乗る事は出来なかった。送迎に乗れなければ、なんとか自力で移動するしかない。ご本人一人での移動は難しいので、移動支援を当たってみた。しかしながら、土日祝の朝夕に動けるヘルパーさんはいなかった。
バスケットボールに例えるなら、ご本人というボールを抱えたまま、パスを出す相手がいない状態だった。
優れた(地域資源について手持ちのカードを豊富に持っている)相談員なら、なんとか出来るのだろうが、私は自分がボランティア(私にとっても、相談の事業所にとっても)で動く事しか考えつかなかった。結果、土日祝の数日、ご本人のホーム~日中一時間の送迎を行なった。
ご本人に医療ケアが必要で、緊急時にはご本人の状態を確認し、私が勤務する法人の医療コーディネーターにそれを伝え、指示を仰がないといけない。緊急時に備え、朝の送迎後は、日中一時の事業所近くのコンビニの駐車場で時間を潰した。時間潰しには、社会福祉士の国試の一問一答を読んでいた。さすがに送迎の最終日には、コンビニのオーナーらしき人から、移動の要請を受けた。結果的に日中一時利用時の緊急対応はなく、その部分ではほっとした。
ホーム利用の終盤は、ご本人の体調が悪くなり、数値的に重い感染症の状態になってしまった。
看護師が常駐する立派な短期入所の施設ではなく、地域の普通のグループホームで、2週間も親許を離れ過ごす事は、ご本人にとって初めての経験だった。

相談支援専門員の年末

12月は忙しかった。計画の継続・変更とモニタリングに加え、下記の仕事をした。

①引っ越しの支援

精神の男性(生保・独居)の引っ越しを手伝った。生保の病状調査の結果、荷物の梱包から支援が受けられた。主治医の先生と市役所の担当者、実際に梱包をして下さった業者さんには感謝でいっぱい。
梱包をしてもらっている間に、郵便物の転送届の作成と、役所での住所変更を済ます。梱包が終わった後、部屋に入るとネズミのフンがいっぱい。運搬の業者さんが、一部の家具は汚れが酷すぎて運べないと言うほどのレベル。その分は、ご本人に部屋の掃除をお願いしている間、相談支援事業所のクルマで運んだ。
また、あらかじめ薬を回収しておかなかったため、梱包した段ボールの中に薬が紛れ込んでしまい、どこに行ったのか分からなくなってしまった。引っ越し先のグループホームで30箱ぐらいあった段ボールを開封しまくり、奇跡的に薬が見つかる。所要時間約11時間。この直接的な支援への報酬は、相談支援専門員の請求項目にはなく、ボランティアだ。

グループホーム体験利用等の調整

知的・自閉の男性(医療ケアあり)のグループホーム体験利用の調整を行なった。連絡・調整は相談支援専門員の本業なので、通常の仕事の内に入るのだが、なかなかボリュームの大きな仕事だった。
この男性の主介護者はお母様だが、お母様が入院するため、その間、短期入所施設(看護師在籍)を使いたいというのが、そもそもの話だった。ところが、コロナの影響で短期入所施設が何人も受け入れをしない方針を打ち出しているため、私の所属する法人内のグループホームを体験利用する方向になった。
難しいと予想されたのは訪問看護の利用だったが、法人の医療コーディネーターの協力を得て、頼りになる訪看さんの支援が受けられることになった。
グループホーム訪問看護生活介護、移動支援、日中一時等、色々な事業所が支援を検討してくれ、年内にはパッチワークのようなケア計画を作ることができた。

①②両方のケースで感じたのは、閉じた支援は良くないな、ということ。ご本人が人見知りだからとか、難しい方だからという理由で、限られた少数の支援者しか関わっていないケースは、平常時はそれで回っても、緊急時にはご本人も支援者も、とても困る。
難しい方であるほど、初期の段階から多くの支援者が関わる、開いた支援が大切だと痛感した。

相談支援専門員の敵

相談支援専門員になるためには、保有資格に応じた実務経験年数と、都道府県が実施する相談支援従事者の初任者研修の受講が必要になる。
初任者研修では色々な講義を受講したが、特に印象深かったのは、多職種との連携についてだった。
講師の先生(ベテランの相談支援専門員)は、自分はとにかく医療関係者と話すのが苦手で、医師と話す時は初めの頃、よく泣いていた、と語った。すごく怒られたのだという。
医師の側からすれば、①相談支援専門員が、何をするのかよく分からない(この仕事は比較的新しく、知名度が低い)、②忙しい時に連絡してくる、というのが怒る理由だったという。

さて、私の担当する利用者さんにtさんという方がいる。tさんは精神の方で、アセスによれば一時路上で生活していた事もあるらしく、乱雑な部屋に住んでいる。私は約1年前に支援につき、就労系サービスを提案、ご本人の努力の結果、安定した利用に結びついた。
tさんは一般就労を希望されている。クローズで行きたいらしいが、オープンでも構わないようだ。そうなってくると、整容面、体臭等が就労に支障をきたす。
私はグループホーム入居の提案をし、tさんも体験を経てホーム入居に前向きになって下さった。

tさんは生活保護を受給されている。私は生保の担当課に現状を報告した。課は、tさんの主治医に病状調査を行なった。そうする決まりだという。主治医は、tさんを現状の独居で生活可能と判断した。課は、主治医の同意がないと、グループホームには入れないと私に言ってきた。

そこで私は冒頭の研修の話を思い出した。これまで仕事で泣きそうになった事は多々ある。ひっそり泣いた事もある。ただ、怒られてオエオエ泣いた事はない。主治医を説得しないと、この話は前に進まない。場合によっては、私の拙い説明は主治医に論破され、私はついにオエオエ泣くことになるかもしれない。

そうなりたくない私は、まず、馴れないパワポで主治医の先生を説得するための資料を作った。百聞は一見にしかず、tさんの部屋の現状が分かる写真満載の資料だ。数時間かけて、なかなかの力作が出来上がった。
それだけでは心配な私は、援護射撃をしてくれる人を作ろうと思った。病院には、だいたい医療ソーシャルワーカー、相談員がいる。その人たちは、病院という医療職の集団の中にいる、私と同じ福祉職だ。つまり味方だ(たまにそうでない場合もあるが)。
私はtさんの病院に電話をし、相談員に事情を話した。相談員は話を聞いてくれ、疑問点をいくつか確認した上で、主治医への口利きを約束してくれた。私はお礼を述べ、主治医向けに作った資料を、相談員にも送る旨を話し、電話を切った。心強い味方が出来た、と私は思った。
約5分後、その相談員から電話がかかってきた。
そういう事ならオッケーと主治医が言っています、という内容だった。
相談員、凄過ぎ。主治医も、ものわかり良過ぎ。かくして、私がオエオエ泣く事態は避けられた。後日、tさんの通院に同行し、主治医の先生にご挨拶をし、グループホーム入居の確認をしたが、先生はとても穏やかな方だった。

結局、主治医も味方だった。敵は、自分の心の中にいるんですね。

相談支援専門員の模試②

私は来年2月に社会福祉士の国試を受ける。
受験資格は先日取得できた(再試で)。

今日は田舎から都会に出て、養成校の模試を受けた。
結果は90点(150点中)で、偏差値は50だった。
なんとか母集団についていけている。

私は中央法規の模試は、現状受けない予定だ。
1月に再度、養成校の模試を受けたら、次は本番だ。

今の勉強の仕方を続け、本番で最高の状態に持っていきたい。