相談支援専門員の日々

障害福祉サービスの計画相談をしていた爺(じじい)のブログ。現在は就労B、生活介護の支援員をしています。

相談支援専門員の後悔

※自分への戒めとして書いており、長文です。


私は約70人の利用者さんを担当している。
多くの案件は、辞めた先輩方から引き継いだものだ。
相談員になって丸9カ月経ったが、
ある利用者さんは、私と反りが合わず、別の相談員に変更し、
また、別の利用者さんは、遠方へ引っ越すために、サービスが終了になったりと、
何人かは私から卒業されている。
お元気であれば、それでいいと思う。
一方で、新しい利用者さんも少しずつ増えている。


sさんの担当になったのは、8月のことだ。
ある病院の看護師から電話がかかってきて、
部屋の掃除と安否確認(sさんは独居)を兼ね、
居宅介護の家事援助のサービスを付けたい方がいるとのことで、お会いした。
区分の認定調査は、すでに終わっていた。

sさんは術後の療養のためにその病院に入院していて、
私は計画相談と地域定着支援の契約書の説明のために一度、
計画書にサインを貰うために一度、
病院を訪ねた。

sさんは飄々としていて、
穏やかな方だった。

計画書を市役所に提出し、
障害福祉サービス受給者証が出ることになり、
家事援助のヘルパーさんが入る目処も立ったので、
8月末にsさんは退院し、自宅マンションへ戻った。

退院後、受給者証の内容を確認するため、
私はsさんの部屋を訪ねた。
そこで、部屋のエアコンが壊れていることを知った。

sさんは障害の影響で細かいコミュニケーションが苦手だった。
私はsさんと管理会社の橋渡し役をしながら、エアコン交換の日を待った。
今年の夏は暑く、管理会社はエアコンのないsさんを心配し、私に安否確認を依頼してきた。
もとより地域定着支援の契約をしており、緊急時の連絡を受ける体制をとっていたので、
私とsさんは携帯電話のショートメールで、やり取りをする事になった。

やり取りと言っても、ショートメールだから長文は送れない。
「本日もお気をつけて」の送信に「了解です」と返信が来る程度だった。
週末、一日返信がない事もあったが、ほぼ毎日、一日一回のやり取りはあった。
それは、エアコンの交換が無事に終わってからも続いた。

エアコン交換から数日が経った火曜日、
私は翌日の水曜日に訪問する旨のショートメールをした。
相談支援専門員にはモニタリングという、
計画書のニーズと実際に提供されているサービスとのマッチングや、サービスへの感想、満足度を確認する仕事がある。
そのモニタリングのためのアポだった。
sさんからは「了解です」と返信が来た。

水曜日の夜、約束の時間より30分遅れて、
私はsさんの部屋を訪ねた。前の面談が押してしまったからだ。
遅れる旨と訪問予定時間はショートメールで送信済だった。
しかし、返信はなかった。

訪問時、私は何度か呼び鈴を押し、ドアをノックした。
念の為、ノブを回したが、施錠されていて、ドアは開かなかった。
ドアの前で数分待ったが、sさんが帰ってくる様子はなかった。

私はドアポストに、sさんに渡すつもりだった書類をクリアファイルに挟んで突っ込んだ。
マンションの前でも10分ほど待ったが、sさんは帰って来なかった。
私はsさんに、訪問したが居なかったので、帰宅すること、
渡したかった書類をドアポストに刺したこと、をショートメールし、家路についた。

木曜日、金曜日と、私は様子伺いのショートメールをしたが、
sさんから返信はなかった。

私は、木曜日の夜の時点で変だと思った。
考えられることは、
sさんが携帯電話を紛失したか、
私の関与の仕方のどこかがまずくて、sさんが私を拒絶しているか、
sさんに何かがあったか、のどれかだと思った。
近いうち、様子を見に行こうと思った。

金曜日の夕方。私が外出先から帰社し、夜の訪問予定の準備をしていると、
遠方に住むsさんのご家族から電話が来た。

「大事な内容のメールへの返信がない。安否確認をしてくれないか」という依頼だった。

私はマンションの管理会社に電話してから、17時半頃sさん宅を訪問した。

呼び鈴を鳴らし、ノックをし、ノブを回したが、反応はなく、ドアは施錠されたままだった。
水曜日の夜に私がドアポストに入れた書類はなく、
空のクリアファイルだけが風にあおられ、パタパタと音をたてながら、ドアポストに刺さっていた。

私はそれを見て、ひとまず安心した。
水曜日の夜以降にsさんが書類を取り出したと思ったからだ。
そして、その事に対して連絡して来ないsさんに、少なからずガッカリした。
少し時間がかかりそうだったので、本来の訪問予定先に変更と謝罪の留守電を入れた。

sさんのご家族の希望が安否確認だったので、
一応、部屋の中にご本人が居ないことを確かめなくてはいけない。

私は再度管理会社に電話し、助言を請うた。
管理会社は、安否確認には警察の同席が必要なこと、
合鍵はビル内のオーナーが持っていること、を教えてくれた。

私は110番に通報し、事情を説明し、
ビル内のオーナーのところへ行って、また事情を説明した。
オーナーは合鍵を探したが、見つからなかった。
管理会社に確認するとのことで、私はsさんの部屋の前に戻った。

通報から10分ぐらいで警官が2人来てくれた。
警官にsさんの事を聞かれ、分かる範囲で答えた。
警官は呼び鈴を鳴らし、ドアを強く叩き、sさんの名前を大声で呼んだ。
やはり反応はなかった。
ビルオーナーが来て合鍵がないことを警官に告げた。
警官は私にカギ業者を呼んで欲しいと言った。
ピッキング等の技術で解錠するか、または鍵を破壊して入ることになると言われた。

私は、なんだか大事になってきた、と思った。
きっとどこかをほっつき歩いているだろうsさんが、
ひょっこり帰ってきたら、警官にどう謝ったものかと考えた。

カギ業者に電話し、sさん宅に来てくれるまで、40分ほど待った。
その間、警察がsさんのご家族に連絡し、
ドアを開けるにあたり業者を使うこと、その費用はご家族負担になること、を説明した。
ご家族は、なるべくピッキングで解錠、やむを得ない場合は破壊、ということで承諾をされた。

カギ業者が到着した。
特殊な道具を使い、解錠のために奮闘した。しかし40分ほど経っても、解錠はできなかった。
警察がご家族にカギの破壊の再確認をし、ご家族は承諾された。
料金は現場で精算とのことで、ご家族がカードで遠隔精算をされた。
業者は電動工具を使ってカギを破壊した。
夜のマンションに金属の摩擦音が響き、火花が飛び散った。

破壊が終わり、ドアが開いた。21時頃、警官2人が手袋をはめて中に入った。
1人が出てきて
「中にいらっしゃいましたが、亡くなっている可能性があります」と言った。
私は「えっ」と絶句した。

警察は生死の判定をしないので、救急を呼ぶとのことだった。
サイレンを鳴らした救急車が到着し、救急隊員が5人ほど来た。
ご本人のことを聞かれ、分かる範囲で私は答えた。
やがて救急隊員の1人が私の所に来て
「すでに救命の対象でなく、亡くなっている」と告げた。
救急隊員は引き上げていった。

入れ替わりに刑事が来た。カメラを持った警察職員も来た。
刑事は警官達にテキパキと指示を出した。
刑事は身分証を見せながら名前を名乗り、私にsさんの事を聞いた。私は知っている事を答えた。
一度、刑事がsさん宅に入った時、私はご家族に電話し、報告をした。沈黙が辛かった。
再度刑事が来て話を聞かれ「もう帰っていいですよ」と言われたのは、22時20分頃だった。

警察から確認の要請がなく、私からも言わなかったので、sさんのお顔を見ることはなかった。

翌日の土曜日、
私は訪問の後で、
sさん宅にヘルパーさんが入ってくれる事になっていた事業所の担当者に電話をし、
事情を留守番に吹き込んだ。

また、sさんの話を持ってきた病院の看護師にも電話をした。
病院には朝早く警察から連絡が来ていた。
看護師と話している時、私は不覚にも涙声になってしまった。
50歳を過ぎたじじいなのに我ながら情けなく、
専門職である看護師の傾聴のスキル(声のトーンや相槌の内容等)は恐ろしいとも感じた。
これは、相談支援の技術である
バイステックの7原則のひとつ、
意図的な感情表出の原則の体現だ、と思った。

さらに、利用者さんの話をしていて涙ぐむということは、
やはり7原則のひとつ、
統制された情緒的関与の原則が実践できていない訳で、
自分はとんだアマチュアなのだと痛感した。

看護師によれば、医師は「最期に家に帰れて良かったではないか」と言っていたらしい。
私にも、そのぐらいのドライで客観的視点があった方が良いのだろう、と思った。


今回の対応として、
相談支援専門員の地域定着支援としては、
問題はなかったと思う。

計画に短期入所や共同生活援助、重度訪問介護があれば、状況は変わったかもしれない。
しかし、sさんはあの部屋から社会に戻る事を考えていたし、区分も重訪が入れるものではなかった。

悔やまれるのは、支援者、または一人の人間として、
もう少し早く、少なくても、木曜日の夜の時点で動こうと思えば、動けた事だと思う。

それをしなかったのは、
部屋に入る迄のプロセスの多さや、
携帯電話をなくしたのではないかという推測、
過去にも同様のことがあったが、無事だったという情報などが、
自分を躊躇させ、動きを鈍らせたからだと思う。
一言で言えば、怠慢だった。
仕事への真摯さに欠けていた。

せめて、ご家族に、安否確認がとれていない旨を、
こちらから連絡できていれば、と思う。

支援者には、
断固として決意して、主体的に動かないといけない時があり、
その時を逃すと、大変な事になる。
取り返しがつかないが、その事を学んだ。


さて、当日は地域定着支援の緊急時対応の形でsさん宅を訪問したため、報告書には後日ご本人かご家族のサインと印が必要になった。
大変なところ、ご家族にそのお願いをするのは偲びなかったが、ご家族はこころよく対応してくださった。
手紙やショートメールで、ご家族からの感謝の言葉を見る度に、胸が痛かった。

遠方にお住まいのご家族に代わり、障害者手帳障害福祉サービス受給者証を市役所に返納した。
市役所には死亡届が出ており、死亡日は私がモニタリングに行った水曜日になっていた。
死因を役所に聞いたが、それは分からなかった。

sさんが何故亡くなったのか、私は今もまだ知らない。
水曜日の夜、私がドアポストに入れた書類がどうなったのかも、分からない。

ただ死亡日が水曜日だったのであれば、sさんは最期まで私に誠実に接してくださったのであり、
水曜日の夜、モニタリングのため、sさん宅を訪問した私には、sさんを救えた可能性があったと言える。