相談支援専門員の日々

障害福祉サービスの計画相談をしていた爺(じじい)のブログ。現在は就労B、生活介護の支援員をしています。

相談支援専門員の年末

12月は忙しかった。計画の継続・変更とモニタリングに加え、下記の仕事をした。

①引っ越しの支援

精神の男性(生保・独居)の引っ越しを手伝った。生保の病状調査の結果、荷物の梱包から支援が受けられた。主治医の先生と市役所の担当者、実際に梱包をして下さった業者さんには感謝でいっぱい。
梱包をしてもらっている間に、郵便物の転送届の作成と、役所での住所変更を済ます。梱包が終わった後、部屋に入るとネズミのフンがいっぱい。運搬の業者さんが、一部の家具は汚れが酷すぎて運べないと言うほどのレベル。その分は、ご本人に部屋の掃除をお願いしている間、相談支援事業所のクルマで運んだ。
また、あらかじめ薬を回収しておかなかったため、梱包した段ボールの中に薬が紛れ込んでしまい、どこに行ったのか分からなくなってしまった。引っ越し先のグループホームで30箱ぐらいあった段ボールを開封しまくり、奇跡的に薬が見つかる。所要時間約11時間。この直接的な支援への報酬は、相談支援専門員の請求項目にはなく、ボランティアだ。

グループホーム体験利用等の調整

知的・自閉の男性(医療ケアあり)のグループホーム体験利用の調整を行なった。連絡・調整は相談支援専門員の本業なので、通常の仕事の内に入るのだが、なかなかボリュームの大きな仕事だった。
この男性の主介護者はお母様だが、お母様が入院するため、その間、短期入所施設(看護師在籍)を使いたいというのが、そもそもの話だった。ところが、コロナの影響で短期入所施設が何人も受け入れをしない方針を打ち出しているため、私の所属する法人内のグループホームを体験利用する方向になった。
難しいと予想されたのは訪問看護の利用だったが、法人の医療コーディネーターの協力を得て、頼りになる訪看さんの支援が受けられることになった。
グループホーム訪問看護生活介護、移動支援、日中一時等、色々な事業所が支援を検討してくれ、年内にはパッチワークのようなケア計画を作ることができた。

①②両方のケースで感じたのは、閉じた支援は良くないな、ということ。ご本人が人見知りだからとか、難しい方だからという理由で、限られた少数の支援者しか関わっていないケースは、平常時はそれで回っても、緊急時にはご本人も支援者も、とても困る。
難しい方であるほど、初期の段階から多くの支援者が関わる、開いた支援が大切だと痛感した。

相談支援専門員の敵

相談支援専門員になるためには、保有資格に応じた実務経験年数と、都道府県が実施する相談支援従事者の初任者研修の受講が必要になる。
初任者研修では色々な講義を受講したが、特に印象深かったのは、多職種との連携についてだった。
講師の先生(ベテランの相談支援専門員)は、自分はとにかく医療関係者と話すのが苦手で、医師と話す時は初めの頃、よく泣いていた、と語った。すごく怒られたのだという。
医師の側からすれば、①相談支援専門員が、何をするのかよく分からない(この仕事は比較的新しく、知名度が低い)、②忙しい時に連絡してくる、というのが怒る理由だったという。

さて、私の担当する利用者さんにtさんという方がいる。tさんは精神の方で、アセスによれば一時路上で生活していた事もあるらしく、乱雑な部屋に住んでいる。私は約1年前に支援につき、就労系サービスを提案、ご本人の努力の結果、安定した利用に結びついた。
tさんは一般就労を希望されている。クローズで行きたいらしいが、オープンでも構わないようだ。そうなってくると、整容面、体臭等が就労に支障をきたす。
私はグループホーム入居の提案をし、tさんも体験を経てホーム入居に前向きになって下さった。

tさんは生活保護を受給されている。私は生保の担当課に現状を報告した。課は、tさんの主治医に病状調査を行なった。そうする決まりだという。主治医は、tさんを現状の独居で生活可能と判断した。課は、主治医の同意がないと、グループホームには入れないと私に言ってきた。

そこで私は冒頭の研修の話を思い出した。これまで仕事で泣きそうになった事は多々ある。ひっそり泣いた事もある。ただ、怒られてオエオエ泣いた事はない。主治医を説得しないと、この話は前に進まない。場合によっては、私の拙い説明は主治医に論破され、私はついにオエオエ泣くことになるかもしれない。

そうなりたくない私は、まず、馴れないパワポで主治医の先生を説得するための資料を作った。百聞は一見にしかず、tさんの部屋の現状が分かる写真満載の資料だ。数時間かけて、なかなかの力作が出来上がった。
それだけでは心配な私は、援護射撃をしてくれる人を作ろうと思った。病院には、だいたい医療ソーシャルワーカー、相談員がいる。その人たちは、病院という医療職の集団の中にいる、私と同じ福祉職だ。つまり味方だ(たまにそうでない場合もあるが)。
私はtさんの病院に電話をし、相談員に事情を話した。相談員は話を聞いてくれ、疑問点をいくつか確認した上で、主治医への口利きを約束してくれた。私はお礼を述べ、主治医向けに作った資料を、相談員にも送る旨を話し、電話を切った。心強い味方が出来た、と私は思った。
約5分後、その相談員から電話がかかってきた。
そういう事ならオッケーと主治医が言っています、という内容だった。
相談員、凄過ぎ。主治医も、ものわかり良過ぎ。かくして、私がオエオエ泣く事態は避けられた。後日、tさんの通院に同行し、主治医の先生にご挨拶をし、グループホーム入居の確認をしたが、先生はとても穏やかな方だった。

結局、主治医も味方だった。敵は、自分の心の中にいるんですね。

相談支援専門員の苦手意識

私は10件ほど児童の相談を担当している。

私個人としては、正直、子供は好きではない。
子供には理屈が通用しないように思うし、声が大きくて高くてうるさい。

また、親を相手にするのも厄介である。
親には親心があり、
これは親の価値観の子供への押し付けだったりする部分もあるように思うのだが、
理屈を越えた情念みたいなものだったりする。

つまり、親も子も、理屈とは違うものを原動力に関わり合っている印象があり、
そこに入っていくと、大変疲れそうである。
できるなら、穏やかに仕事をしたい。

また、役所の問題もある。
私が主に仕事をしている市は、
特定(大人)の書類提出の窓口はあっさりしているが、
児童の方は、担当者が変に熱心な人で、
書類提出時に、その場で色々とフィードバックしてくれる。
ありがたいが、これも疲れる原因である。

しかしながら、児童に全く関わらずに相談支援専門員をしていくというのは、
私の勤める事業所では無理があり、
まあ、あまり積極的にではないけれど、
10件ほどの担当をしている。

さて、実際に支援をしてみると、
子供も大変だし、親も大変だと感じる。

相談員にとっては、それぞれがone of themな案件だから、それほど熱くもならないし、それが客観的視点による気付きに繋がったりもする。

しかし、親は自分の子供を愛しているから、どうしても入れ込む。

やはりご本人である児童が、どういった支援を望むか、自己決定する事が、重要である。
ところが、彼らにはあまりに未熟な部分があるから、親は過剰に干渉したり、逆に子供を否定や拒否したり、療育に怠慢になったりすることもあるのだろうと思う。

理想的なのは、本人も、親も、支援者も、三方良しの状態だ。それぞれが有効に機能し、足りない部分を補い合う関係である。

それが理想的なのだが、現実にはなかなか見当たらない。

学校や事業所ではとても良い子なイメージのある方でも、親には他害がひどい場合もある。

あからさまに大変な児童より、そのような一見外面が良くて、実は親に他害をしている児童の方が、親は孤立無援で大変だったりする。

もちろん、児童自身も生きにくさを抱えている訳で、やっぱり、子供も親も大変なのである。

私には子供はおらず、
正直、療育支援に特別な自信も熱意もない。
なので、児童の支援に入るのは少し腰が引ける。

先月は、児童の計画の継続を2件行なった。
うち1件では、継続のためのモニタリング時、
お母様とお父様の夫婦喧嘩のようなものが起こった。

その時私は、だから児童の支援は…と思った。

モニタリングをし、継続の計画書を作ると、
計画書にはサインをもらわないといけない。

私はだいたい、計画書をご家庭に郵送し、返送してもらう。

夫婦喧嘩のご家庭からも、計画書が戻ってきた。
封のところに、がんばったね!というシールが貼ってあった。

計画書を役所に出すと、やがて受給者がご自宅に届く。
相談員は受給者証のコピーも貰わないといけない。
それも郵送してもらった。

今度は封のところに、できたね!というシールが
貼ってあった。

少し気持ちがホワホワした。
児童の相談も、ちょっといいかも、と思った。

相談支援専門員の小心

福祉職への給付金を頂いた。
正直、会社に取られちゃうんじゃないか、と思っていたが、そんな事はなかった。
現金が封筒に入っている形で、明細はなかった。
封筒を受け取り、伝票にサインした。

ぶっちゃけ、私はいつも小遣いに困っている。
封筒を受け取った瞬間、これは収入にカウントされるのかが、ものすごく気になった。
つまり、妻にこのお金を入手した事がバレるのか、バレないのか、という事だ。

午前中に封筒を受け取ったものだから、
午後のモニタリングでも、そのあとの長い面談でも、
そのあとの長い会議でも、帰りの電車の中でも、
ずーっと、その事が頭のど真ん中にあった。

帰宅して、私は妻に封筒を差し出した。もちろん封は開けていない。
妻はビクトリノックスのアーミーナイフで封筒を開封し、お金が入っている事を確認した。

私がお金の背景を説明すると、妻は自由にすれば、と言ったので、私は数分の間狂喜乱舞し、いつもお世話になっているから、と妻に4割を献上した。

妻は家計に入れておくと言い、私がいかに良い夫であるかを自画自賛していると、彼女はお札の肖像画のような光のない目で、私のことをかわいそうに、と見ていた。

相談支援専門員の後悔

※自分への戒めとして書いており、長文です。


私は約70人の利用者さんを担当している。
多くの案件は、辞めた先輩方から引き継いだものだ。
相談員になって丸9カ月経ったが、
ある利用者さんは、私と反りが合わず、別の相談員に変更し、
また、別の利用者さんは、遠方へ引っ越すために、サービスが終了になったりと、
何人かは私から卒業されている。
お元気であれば、それでいいと思う。
一方で、新しい利用者さんも少しずつ増えている。


sさんの担当になったのは、8月のことだ。
ある病院の看護師から電話がかかってきて、
部屋の掃除と安否確認(sさんは独居)を兼ね、
居宅介護の家事援助のサービスを付けたい方がいるとのことで、お会いした。
区分の認定調査は、すでに終わっていた。

sさんは術後の療養のためにその病院に入院していて、
私は計画相談と地域定着支援の契約書の説明のために一度、
計画書にサインを貰うために一度、
病院を訪ねた。

sさんは飄々としていて、
穏やかな方だった。

計画書を市役所に提出し、
障害福祉サービス受給者証が出ることになり、
家事援助のヘルパーさんが入る目処も立ったので、
8月末にsさんは退院し、自宅マンションへ戻った。

退院後、受給者証の内容を確認するため、
私はsさんの部屋を訪ねた。
そこで、部屋のエアコンが壊れていることを知った。

sさんは障害の影響で細かいコミュニケーションが苦手だった。
私はsさんと管理会社の橋渡し役をしながら、エアコン交換の日を待った。
今年の夏は暑く、管理会社はエアコンのないsさんを心配し、私に安否確認を依頼してきた。
もとより地域定着支援の契約をしており、緊急時の連絡を受ける体制をとっていたので、
私とsさんは携帯電話のショートメールで、やり取りをする事になった。

やり取りと言っても、ショートメールだから長文は送れない。
「本日もお気をつけて」の送信に「了解です」と返信が来る程度だった。
週末、一日返信がない事もあったが、ほぼ毎日、一日一回のやり取りはあった。
それは、エアコンの交換が無事に終わってからも続いた。

エアコン交換から数日が経った火曜日、
私は翌日の水曜日に訪問する旨のショートメールをした。
相談支援専門員にはモニタリングという、
計画書のニーズと実際に提供されているサービスとのマッチングや、サービスへの感想、満足度を確認する仕事がある。
そのモニタリングのためのアポだった。
sさんからは「了解です」と返信が来た。

水曜日の夜、約束の時間より30分遅れて、
私はsさんの部屋を訪ねた。前の面談が押してしまったからだ。
遅れる旨と訪問予定時間はショートメールで送信済だった。
しかし、返信はなかった。

訪問時、私は何度か呼び鈴を押し、ドアをノックした。
念の為、ノブを回したが、施錠されていて、ドアは開かなかった。
ドアの前で数分待ったが、sさんが帰ってくる様子はなかった。

私はドアポストに、sさんに渡すつもりだった書類をクリアファイルに挟んで突っ込んだ。
マンションの前でも10分ほど待ったが、sさんは帰って来なかった。
私はsさんに、訪問したが居なかったので、帰宅すること、
渡したかった書類をドアポストに刺したこと、をショートメールし、家路についた。

木曜日、金曜日と、私は様子伺いのショートメールをしたが、
sさんから返信はなかった。

私は、木曜日の夜の時点で変だと思った。
考えられることは、
sさんが携帯電話を紛失したか、
私の関与の仕方のどこかがまずくて、sさんが私を拒絶しているか、
sさんに何かがあったか、のどれかだと思った。
近いうち、様子を見に行こうと思った。

金曜日の夕方。私が外出先から帰社し、夜の訪問予定の準備をしていると、
遠方に住むsさんのご家族から電話が来た。

「大事な内容のメールへの返信がない。安否確認をしてくれないか」という依頼だった。

私はマンションの管理会社に電話してから、17時半頃sさん宅を訪問した。

呼び鈴を鳴らし、ノックをし、ノブを回したが、反応はなく、ドアは施錠されたままだった。
水曜日の夜に私がドアポストに入れた書類はなく、
空のクリアファイルだけが風にあおられ、パタパタと音をたてながら、ドアポストに刺さっていた。

私はそれを見て、ひとまず安心した。
水曜日の夜以降にsさんが書類を取り出したと思ったからだ。
そして、その事に対して連絡して来ないsさんに、少なからずガッカリした。
少し時間がかかりそうだったので、本来の訪問予定先に変更と謝罪の留守電を入れた。

sさんのご家族の希望が安否確認だったので、
一応、部屋の中にご本人が居ないことを確かめなくてはいけない。

私は再度管理会社に電話し、助言を請うた。
管理会社は、安否確認には警察の同席が必要なこと、
合鍵はビル内のオーナーが持っていること、を教えてくれた。

私は110番に通報し、事情を説明し、
ビル内のオーナーのところへ行って、また事情を説明した。
オーナーは合鍵を探したが、見つからなかった。
管理会社に確認するとのことで、私はsさんの部屋の前に戻った。

通報から10分ぐらいで警官が2人来てくれた。
警官にsさんの事を聞かれ、分かる範囲で答えた。
警官は呼び鈴を鳴らし、ドアを強く叩き、sさんの名前を大声で呼んだ。
やはり反応はなかった。
ビルオーナーが来て合鍵がないことを警官に告げた。
警官は私にカギ業者を呼んで欲しいと言った。
ピッキング等の技術で解錠するか、または鍵を破壊して入ることになると言われた。

私は、なんだか大事になってきた、と思った。
きっとどこかをほっつき歩いているだろうsさんが、
ひょっこり帰ってきたら、警官にどう謝ったものかと考えた。

カギ業者に電話し、sさん宅に来てくれるまで、40分ほど待った。
その間、警察がsさんのご家族に連絡し、
ドアを開けるにあたり業者を使うこと、その費用はご家族負担になること、を説明した。
ご家族は、なるべくピッキングで解錠、やむを得ない場合は破壊、ということで承諾をされた。

カギ業者が到着した。
特殊な道具を使い、解錠のために奮闘した。しかし40分ほど経っても、解錠はできなかった。
警察がご家族にカギの破壊の再確認をし、ご家族は承諾された。
料金は現場で精算とのことで、ご家族がカードで遠隔精算をされた。
業者は電動工具を使ってカギを破壊した。
夜のマンションに金属の摩擦音が響き、火花が飛び散った。

破壊が終わり、ドアが開いた。21時頃、警官2人が手袋をはめて中に入った。
1人が出てきて
「中にいらっしゃいましたが、亡くなっている可能性があります」と言った。
私は「えっ」と絶句した。

警察は生死の判定をしないので、救急を呼ぶとのことだった。
サイレンを鳴らした救急車が到着し、救急隊員が5人ほど来た。
ご本人のことを聞かれ、分かる範囲で私は答えた。
やがて救急隊員の1人が私の所に来て
「すでに救命の対象でなく、亡くなっている」と告げた。
救急隊員は引き上げていった。

入れ替わりに刑事が来た。カメラを持った警察職員も来た。
刑事は警官達にテキパキと指示を出した。
刑事は身分証を見せながら名前を名乗り、私にsさんの事を聞いた。私は知っている事を答えた。
一度、刑事がsさん宅に入った時、私はご家族に電話し、報告をした。沈黙が辛かった。
再度刑事が来て話を聞かれ「もう帰っていいですよ」と言われたのは、22時20分頃だった。

警察から確認の要請がなく、私からも言わなかったので、sさんのお顔を見ることはなかった。

翌日の土曜日、
私は訪問の後で、
sさん宅にヘルパーさんが入ってくれる事になっていた事業所の担当者に電話をし、
事情を留守番に吹き込んだ。

また、sさんの話を持ってきた病院の看護師にも電話をした。
病院には朝早く警察から連絡が来ていた。
看護師と話している時、私は不覚にも涙声になってしまった。
50歳を過ぎたじじいなのに我ながら情けなく、
専門職である看護師の傾聴のスキル(声のトーンや相槌の内容等)は恐ろしいとも感じた。
これは、相談支援の技術である
バイステックの7原則のひとつ、
意図的な感情表出の原則の体現だ、と思った。

さらに、利用者さんの話をしていて涙ぐむということは、
やはり7原則のひとつ、
統制された情緒的関与の原則が実践できていない訳で、
自分はとんだアマチュアなのだと痛感した。

看護師によれば、医師は「最期に家に帰れて良かったではないか」と言っていたらしい。
私にも、そのぐらいのドライで客観的視点があった方が良いのだろう、と思った。


今回の対応として、
相談支援専門員の地域定着支援としては、
問題はなかったと思う。

計画に短期入所や共同生活援助、重度訪問介護があれば、状況は変わったかもしれない。
しかし、sさんはあの部屋から社会に戻る事を考えていたし、区分も重訪が入れるものではなかった。

悔やまれるのは、支援者、または一人の人間として、
もう少し早く、少なくても、木曜日の夜の時点で動こうと思えば、動けた事だと思う。

それをしなかったのは、
部屋に入る迄のプロセスの多さや、
携帯電話をなくしたのではないかという推測、
過去にも同様のことがあったが、無事だったという情報などが、
自分を躊躇させ、動きを鈍らせたからだと思う。
一言で言えば、怠慢だった。
仕事への真摯さに欠けていた。

せめて、ご家族に、安否確認がとれていない旨を、
こちらから連絡できていれば、と思う。

支援者には、
断固として決意して、主体的に動かないといけない時があり、
その時を逃すと、大変な事になる。
取り返しがつかないが、その事を学んだ。


さて、当日は地域定着支援の緊急時対応の形でsさん宅を訪問したため、報告書には後日ご本人かご家族のサインと印が必要になった。
大変なところ、ご家族にそのお願いをするのは偲びなかったが、ご家族はこころよく対応してくださった。
手紙やショートメールで、ご家族からの感謝の言葉を見る度に、胸が痛かった。

遠方にお住まいのご家族に代わり、障害者手帳障害福祉サービス受給者証を市役所に返納した。
市役所には死亡届が出ており、死亡日は私がモニタリングに行った水曜日になっていた。
死因を役所に聞いたが、それは分からなかった。

sさんが何故亡くなったのか、私は今もまだ知らない。
水曜日の夜、私がドアポストに入れた書類がどうなったのかも、分からない。

ただ死亡日が水曜日だったのであれば、sさんは最期まで私に誠実に接してくださったのであり、
水曜日の夜、モニタリングのため、sさん宅を訪問した私には、sさんを救えた可能性があったと言える。

相談支援専門員のスパイダーマン

先程、アマゾンプライムビデオをちらと観ていたら、
トビー・マグワイアスパイダーマン
ラインナップにあった。

この映画には、確か
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」的な
セリフがあったと記憶している。

さて、
相談支援専門員に大いなる力があるとは思わないが、
その仕事には大いなる責任が伴うと思う。

計画書を作り、役所に提出して、受給者証が出れば、
各事業所さんは一生懸命に頑張って下さり、
利用者さんの日常生活は変わっていく。

行政、医療も含めた支援者のチームには
色々な価値観の方がいて、
中には積極的に利用者さんの生活を変える事が正義、
みたいに思っている様子のメンバーもおられるが、
臆病者の私は、共同生活援助の体験を付けるのにも、
長い時間をかけ、何度もご本人の気持ちを聞くなど、
薄氷を踏む思いで計画書を作っている。

色々と先回りしてサービスを付ける事が、
エンパワメントと言えるのだろうか。

動きの遅い相談員は、そんな風に思うんです。
言い訳ですけど。

相談支援専門員の疑問

仕事をしていて疑問に思うことはいくつもある。

短期入所は
事業所が未定でもお守りのようにサービスをつけられるが、
GHの体験のサービスをつけようとすると、
私が仕事をしている市町村では、
家賃額証明が必要になる。

だから、ある程度、体験の話が具体的になっていないと、
サービスをつけることは出来ない。

体験だから、気軽に出来た方がいいと思うのだが…。
実際の内容は、短期入所とそれほど変わらないし…。

サービスの目的が違うのは分かるけれど、
不思議に思う部分です。