相談支援専門員の日々

障害福祉サービスの計画相談をしていた爺(じじい)のブログ。現在は就労B、生活介護の支援員をしています。

相談支援専門員の苦手意識

私は10件ほど児童の相談を担当している。

私個人としては、正直、子供は好きではない。
子供には理屈が通用しないように思うし、声が大きくて高くてうるさい。

また、親を相手にするのも厄介である。
親には親心があり、
これは親の価値観の子供への押し付けだったりする部分もあるように思うのだが、
理屈を越えた情念みたいなものだったりする。

つまり、親も子も、理屈とは違うものを原動力に関わり合っている印象があり、
そこに入っていくと、大変疲れそうである。
できるなら、穏やかに仕事をしたい。

また、役所の問題もある。
私が主に仕事をしている市は、
特定(大人)の書類提出の窓口はあっさりしているが、
児童の方は、担当者が変に熱心な人で、
書類提出時に、その場で色々とフィードバックしてくれる。
ありがたいが、これも疲れる原因である。

しかしながら、児童に全く関わらずに相談支援専門員をしていくというのは、
私の勤める事業所では無理があり、
まあ、あまり積極的にではないけれど、
10件ほどの担当をしている。

さて、実際に支援をしてみると、
子供も大変だし、親も大変だと感じる。

相談員にとっては、それぞれがone of themな案件だから、それほど熱くもならないし、それが客観的視点による気付きに繋がったりもする。

しかし、親は自分の子供を愛しているから、どうしても入れ込む。

やはりご本人である児童が、どういった支援を望むか、自己決定する事が、重要である。
ところが、彼らにはあまりに未熟な部分があるから、親は過剰に干渉したり、逆に子供を否定や拒否したり、療育に怠慢になったりすることもあるのだろうと思う。

理想的なのは、本人も、親も、支援者も、三方良しの状態だ。それぞれが有効に機能し、足りない部分を補い合う関係である。

それが理想的なのだが、現実にはなかなか見当たらない。

学校や事業所ではとても良い子なイメージのある方でも、親には他害がひどい場合もある。

あからさまに大変な児童より、そのような一見外面が良くて、実は親に他害をしている児童の方が、親は孤立無援で大変だったりする。

もちろん、児童自身も生きにくさを抱えている訳で、やっぱり、子供も親も大変なのである。

私には子供はおらず、
正直、療育支援に特別な自信も熱意もない。
なので、児童の支援に入るのは少し腰が引ける。

先月は、児童の計画の継続を2件行なった。
うち1件では、継続のためのモニタリング時、
お母様とお父様の夫婦喧嘩のようなものが起こった。

その時私は、だから児童の支援は…と思った。

モニタリングをし、継続の計画書を作ると、
計画書にはサインをもらわないといけない。

私はだいたい、計画書をご家庭に郵送し、返送してもらう。

夫婦喧嘩のご家庭からも、計画書が戻ってきた。
封のところに、がんばったね!というシールが貼ってあった。

計画書を役所に出すと、やがて受給者がご自宅に届く。
相談員は受給者証のコピーも貰わないといけない。
それも郵送してもらった。

今度は封のところに、できたね!というシールが
貼ってあった。

少し気持ちがホワホワした。
児童の相談も、ちょっといいかも、と思った。